ハノーバーメッセレポートの第四弾は、欧州と日本の展示内容から、違いがどの辺にあるかという点について論考する。その結果、個別の生産技術や、製造現場での可視化は欧米諸国と比較しても引けを取らないどころか進んでいるように感じているのに、みなさんが「出遅れ感」を感じている根本的な所在が顕在化してきた。
まずは、次の2枚の写真をみて欲しい。
この2枚の画像は、独シーメンスのブース中央に展示されていた未来の工場のイメージだ。


基本的に工場にヒトはいなくて、概ね生産そのものはロボットが行なっているが、管理業務など大きな意思決定はヒトが行なっている様子がわかる。
もちろん、各産業機械の状態や品質検査の過程でデジタルの力を使っているが、基本的に課題に対するアクションも自動化が進んでいいて、デジタルの力を「なんのために使おうとしているのか?」が、とても明確なメッセージとして読み取れる。
これを見て、「未来の工場の話は所詮CGだからなんとでも描ける」と言いたくなる人もいるだろう。そこで、足元で進んでいる、日本企業と欧州企業の可視化ソリューションに関する展示内容を比較してみる。
まず、日本企業からだ。国内の大手製造メーカーにおける展示のデジタル対応は、自社製品から出るデータの可視化、つまり「いかに細かなデータを収集しわかりやすく表示するか」というアプローチだといえる。
「他社のデータも可視化できます」というのだが、データをメーカー横断で可視化するのはいいが、それをしたら「何がいいことがあるのか」ということについては、「データはヒトが見ることができるのだから、あとはそれを見たヒトが産業機械や工場のラインについての生産性を向上する判断すればよいじゃないか。」という事になる。
エッジコンピューティングにより、現場のレベルでのデータを収集し、可視化すること自体はよいのだが、可視化の先はほとんどヒトが介在しなければならないだけでなく、トータルで製造業をどう変えていきたいかというビジョンが展示されていないのが特徴的だと言える。
その結果、エッジレイヤーの話題に終始せざるを得ないため、仕組みとして「メーカー横断的」であることが売りとなるしかなくなる。


上の写真はFUNUCのFIELD SYSTEMとYASUKAWA COCKPITの画面だ。どちらも、エッジよりで、産業機械やラインの「状態を可視化」している。
一方で、下の写真は、スイスのABB Ablityと、フランスのシュナイダーエレクトリックのEcoStructureの画面だ。違いがわかるだろうか。


どちらも、ある産業に対するソリューションを提案しているのだ。誤解のないように付け加えると、ABBやシュナイダーエレクトリック、シーメンスのソリューションもProductibity(生産性)については提案をしていた。
話を戻すと、ABBであれば、オイル&ガス、化学、製紙、鉱業、発電の分野に対してできることをソリューションとして展示している。また、シュナイダーエレクトリックの場合は、プロセス産業においてどうデータを読み取りアクションにつなげるか、という話題について展示をしていることがわかる。
つまり、自社の強みが生きている「産業分野に対して」のソリューションを提案しているのが欧州企業だと言える。
この違いは、日本の下請け構造に起因するのではないか。産業のヒエラルキーの中で、産業としてやるべきことを企画・運用している企業、産業全体に必要な仕組み全体を提案しようとする企業、産業の足元で必要となる産業機械の製造というレイヤーを考えた時、欧州企業は2レイヤー目以下を提案する企業が多い中、日本は3レイヤー目だけを強みとしている企業が多いのではないだろうか。
中国のHuaweiの通信会社へのアプローチを考えるとわかりやすい。
Huaweiは通信会社に対して、通信インフラとなる基盤ネットワークの部分からスマートフォンの端末まで製造してる。
東南アジアやアフリカなどの国では、Huaweiの通信ソリューションを丸ごと導入すると、国営通信会社を一社たちあげるだけであとはHuaweiに任せておけば通信インフラが整うのだ。
この例の良し悪しを言いたいのではなく、一つの産業にとって必要なコトをすべて網羅し、End-to-Endでソリューションを提供しようとしている企業が多い中、その中のある部分だけを担うようなモノの提供だけ行うということは、グローバル化が進む中、このままでは下請けの構造の中に取り込まれてしまい、部品を提供するだけのプレーヤー止まりで、決してある産業におけるメインプレーヤーとはなれない。
「可視化の先にあるもの」というテーマでハノーバーメッセを見てきたが、この考察を通して、日本企業のそもそもの目線の低さが、今まさに起きている産業レベルのデジタルトランスフォーメーションの「縄張り争い」に対して、致命的な出遅れ感があると感じた。
私が見たものが全てではないことは十分承知しているので、これをきっかけに、ぜひ本質的な議論を始めて欲しい。